中山美穂さんが亡くなった自宅マンションは渋谷区恵比寿にあるバーニングパブリッシャーズが管理するビルの6階でした。
今回、中山美穂さんの死について、所属事務所のバーニングパブリッシャーズが関係していたのかについて検証してみます。
この記事を読むと、中山美穂さんの死と、所属事務所であるバーニングパブリッシャーズの代表取締役である、周防郁雄ついて知ることができます。
【結論】:故・三浦春馬が、自死した時のように、中山美穂さんも周防郁雄氏との、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性が高いです。
中山美穂 死因「周防郁雄バーニングパブリッシャーズとのトラブルか」
故・三浦春馬が、自死した当日関東連合の渡辺雅也と思われる人物がマンションに出入りしていたという情報があり周防氏との関係が噂さました。
中山さんが亡くなった日に、「八王子ナンバーの一般車両が止まっていた」「茶髪でラフなスタイルをした女性が確認された」という情報が報道されています。
今回も、事務所顧問で広域暴力団と関わりの深い周防郁雄氏が、中山さんの死に関わった可能性が高いと思われます。
中山さんは、周防氏にパリ移住の時、仕事をキャンセルしたことを謝っていなかった。
中山さんは、パリ移住で迷惑をかけたことについて、周防郁雄氏に謝っていませんでした。
このことが、周防郁雄氏の怒りをかってしまったと思われます。
200年、32歳のときに作家の辻仁成氏と結婚。
翌年にはパリ移住を強行した。
その際には、予定していた仕事をキャンセルしなければならず、事務所に迷惑をかけることになった。
活動再開にあたって、芸能界のドンと呼ばれるバーニング社長の周防郁雄氏に頭を下げる必要があったという。
12月9日、周防氏本人に聞いた。
中山との思い出については、「うーん」と言葉が出てこなかったが、活動再開のときに詫びに来たかという問いには、「俺んとこには来てねないねぇ」と答えた。
(文集オンライン 2024年12月11日)
芸能界ナンバーワンのバーニングとして、中山さんの行動に対してしめしがつかなかった?
中山さんの死は、芸能界での勝手な行いに対する見せしめであった可能性も考えられます。
(起業LOGより引用)
中山美穂さんの自宅マンション
中山美穂さんの自宅マンションは渋谷区恵比寿の恵比寿トリニティビルで、4階までが事務所などに使用され、5階がバーニングパブリッシャーズの事務所、6階以上が居住スペースとして使用され、中山美穂さんは7階に住んでいました。
約70㎡(約43畳、2LDK~3LDKの広さ)で、中山さん好みに1室としてリフォームされていました。
2014年に辻仁成氏と離婚し、日本に帰国した中山さんは、音楽家の渋谷慶一氏と交際し、渋谷さんのマンションで半同棲状態でした。
フランスに行くと言い出したり、フラフラした状態だったので、真剣に仕事に向き合うように、この部屋を提供されました。
・恵比寿トリニティビル6階
・2014年から住んでいました ・家賃は中山さんの印税と相殺して支払っていました ・70㎡の広さで、中山さんの好みにリフォームされた仕切りの無い吹き抜けの一つの大きな部屋 ・事故物件ではないかという情報もあります。 ・すぐ近くを川が流れ幹線道路が近くを通っています。 ・谷底傾斜地で近くに墓地やお寺、病院があり、新興宗教施設もあります。 ・事務所などに使用するのには問題ないのですが、居住するには不向きな場所であると思われます。 |
バーニングパブリッシャーズ周防郁雄について
バーニングパブリッシャーズ、周防郁雄氏について、詳しく説明していきます。
周防郁雄履歴
・名前:周防郁雄
・読み方:すほう いくお
・生年月日:1941年1月11日
・年齢:83歳(2024年現在)
・職業:実業家
・配偶者:進 美恵子(元妻)、戸籍上は離婚しているが、現在も内縁関係にある。
・子供:周防彰悟(長男)、音楽プロデューサー、レーシングドライバーでバーニングプレッシャーズ代表取締役。
・子供:進亮(周防亮)は、Grickの代表取締役社長
*息子の、周防彰悟と周防亮兄妹は腹違いで、仲が悪く骨肉の争いをしているというYouTubeでの情報がありました。
周防郁雄経歴
・1941年(昭和16年)、千葉県市原市に誕生
・1960年(昭和35年)、市川高等学校を卒業
・当時千葉県議会議員であった浜田幸一の運転手を経て、芸能プロダクション・神栄プロダクションに入社。住み込みで働きながら、北島三郎の運転手などを務めた。
・1968年(昭和43年)、ホリプロダクション(ホリプロ)に転職。
・1971年(昭和46年)、ホリプロダクションを退社し、自ら芸能事務所「国際プロダクション」を設立。(後にバーニングプロダクションと改名)
・1973年(昭和48年)、バーニングパブリッシャーズを設立し、音楽著作権ビジネスに進出。
・1994年(平成6年)、バンクスを設立し、外食産業ビジネスに進出。
周防郁雄の人物像
芸能界で絶大な権力を持ち、芸能界のドンの1人と称されています。
現在大手芸能事務所であるアミューズには、現在の会長である大里洋吉と資金を折半して設立し、大里氏に原田真二やサザンオールスターズを紹介し、サザンオールスターズの「いとしのエリー」までの版権をバーニングパブリッシャーズが持っています。
芸能界が、映画からテレビに移行する時代、テレビ芸能に関しては、渡辺プロダクションの1強時代が続きました。
しかし、渡辺プロダクションからホリプロ、サンミュージック、ジャニーズなどが枝分かれしていきます。
周防氏は新栄プロダクションからホリプロダクションを経てバーニングプロダクションを立ち上げ独立します。
スター誕生は、当時テレビ業界を牛耳っていた渡辺プロダクション抜きで始められました。
バーニーズプロダクションは著作権に関する事業を立ち上げたことで、レコード大賞を決定することが出来るほど音楽業界では強い影響力があります。
音楽に関する著作権は、売り上げの6%を著作権として収益し、そのうちの、3%が作詞作曲者にわたり、残りの3%は出版会社(バーニングパブリッシャーズ)に収益されます。
その残りの3%から決められた金額をアーティスト(歌手)に収入として支払われます。
この様な著作権に関する仕組みを、周防氏が先駆けて組織化したといわれています。
(【RIDE(ライド)】さいたまから愛をこめてYouTube動画を参考)
バーニング社長・周防郁雄と芸能界の裏事情
【藤原紀香】
昔から、藤原紀香の「男」は所属するプロダクションの「バーニング」の所長であり、芸能界のドンといわれる「S氏」といわれてきました。
藤原紀香が陣内と結婚したのは、S氏が所属事務所の「稲森いずみ」を寵愛するようになったため、藤原紀香の腹いせで行われたと言われています。
陣内は芸能界通からは「阿保」よばわりされていました。
陣内との結婚前に藤原紀香は、広域暴力団Y組の先代組長「W氏」と愛人関係にあったと噂されていました。
六本木で遊んでいた藤原紀香に「酔漢」がしつこくからんでいたところ、藤原紀香がケイタイでどこかに電話をすると、あっという間に4,50人のヤクザがかけ参じました。
【北野誠はバーニングに干された!】
北野誠氏が「舌禍事件」を起こし「芸能界無期限追放」になったこともバーニングの周防氏がかかわっていたといわれています。
北野誠氏が周防氏を「暴力団もどき」と悪しきざまに言ったことが原因だともいわれています。
【郷ひろみ】
ジャニー氏の寵愛に我慢できなくなった郷ひろみは逃亡し行方不明になりました。
親元に「僕は北海道にいる、ジャニーの元へ帰れというなら死ぬ」と郷ひろみ本人から連絡が入りました。
逃亡した郷ひろみをジャニーズ事務所からバーニングに移籍させたのも周防氏でした。
郷ひろみは、バーニングへ「円満移籍」し芸能活動を再開させました。
(芸能界のドン!バーニング社長・周防郁雄と芸能界の裏事情(RENOTE)ビデオ監督・西山とおるブログを参考)
中山美穂 死因「周防郁雄バーニングパブリッシャーズとのトラブルか」のまとめ
今回、中山美穂さんの死について、所属事務所のバーニングパブリッシャーズが関係していたのかについて検証してみました。
新しい情報が入り次第、追記させていただきます。
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