小池百合子都知事「学歴詐称疑惑の事実を友人が実名告白」

小池百合子
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東京都知事選での、小池百合子氏の学歴訴訟疑惑が問題になっています。

新しい情報で、「文藝春秋」による小池氏のカイロ大学卒業について、新たな証言が実名で発表されました。

その内容を分かりやすくまとめています。

 

小池百合子都知事学歴詐称疑惑の真実を友人が告白

北原百代さんが文芸春秋に寄せた手記をまとめながら、小池百合子都知事の学歴詐称の真実に触れていきます。

1972年、北原さん(30歳)が、エジプト・カイロ市内に滞在していたペンションで、ある商社マンに小池さん(19歳)を紹介され同居することになります。

当時の小池氏は、アラビア語をほとんど話せませんでしたが、口癖のように「お父さんが、来年からカイロ大学の2年生に編入出来るように取り計らっているの」と言っていました。

小池氏の父親は、石油関連の貿易商として戦後、財を成した人でエジプトのカイロについて精通している人でした。

北原氏が外国人向けの語学学校に行くと2回ぐらいついていくのですが、小池氏はすぐに辞めてしまい、その学校で知り合った日本人留学生と2ヵ月後に結婚します。

その日本人留学生は、アラビア語がかなり出来る人だったので、カイロ大学へ入学するために利用したのではないかと北原氏は推測しています。

小池氏は、1971年4月に関西学院大学社会学部に入学しますが、父親の会社が倒産し、同年9月に中退しています。

国際連盟の公用語にアラブ語が加わるのを知った父親が小池氏をアラビア語の通訳とするために、1971年10月からカイロ市のアメリカン大学・東洋学科に入学させ、アラビア語を学ばせます。

1972年10月カイロ大学文学部社会学科に入学します。

1975年の年末に日本人留学生と離婚し、北原氏をたより、北原氏の元で同居することになります。

北原しは同居して分かったのですが、小池氏は辞書も持っていなかったので、北原氏の辞書を借りたのですが、調べてマルで囲んでいた単語は初歩的な単語で北原氏は驚いたそうです。

エジプト語は「口語」「文語」に分かれていて、日常で使用するのが口語で、インテリ層が大学で使うのは文語だそうです。これについては現在の小池氏が、自身のインスタグラムでも語っています。

 

小池氏が「口語」と「文語」の説明をしている

小池氏は、自身のInstagramで「口語」と「文語」の違いを説明しています。

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小池氏Instagram引用

ニュースキャスター時代の「口語」でのニュース解説

小池氏は、ニュースキャスター時代「口語」で話していたことを自身のInstagramで公表しています。

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小池氏Instagram引用

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小池氏Instagram引用

この文語が大変難しいらしく、エジプト人でも4人に1人が留年すると言われているそうです。外国からの留学生は、進級試験に合格するために家庭教師を雇っていたそうです。

日本人で初めてカイロ大学を卒業した、大東文化大学教授の小笠原良治さんでも卒業に7年かかったそうです。

カイロ大学卒業の難しさを、エジプト人タレント「フィフィ」さんも自身のXでツイートしています。「イラクのフセイン元大統領も法学部を中退したと認めています。特に外国人にとって文学部は難関。アラビア語での論文が必修。日常会話レベルの語学力で卒業なんて無理

 

小池氏の学歴詐称疑惑についてフィフィさんは自身のXで語っています

エジプト人タレントのフィフィさんは、カイロ大学の卒業の難しさについて自身のXで語っています。

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フィフィInstagram引用

カイロ大学の進級試験は5月から始まって1ヵ月以上続き、合否が校内の掲示板に張り出されます。

7月上旬に小池氏は、「落ちちゃった」と北原氏に語っています。大学の教授に相談したが、「追試を受けられるのは最終学年だけ」といわれたそうです。

この時、北原氏は父親のコネで入学は出来たけれど、カイロ大学の授業にはついて行けなかったのだと察したそうです。

進級試験に落ちた小池氏は、JALの現地スタッフとして、チケット販売をしていました。

1976年8月に北原氏がガイドの仕事で乗っていた飛行機がハイジャックされます。この時、小池氏は、読売新聞の取材を受けていました。

「同居する北原さんの安否を心配する日本航空駐在員の〇〇(別れた元主人の名字)小百合さん」として取材を受けていました。

小池氏は、現地採用のスタッフで駐在員ではなかったのです。そして、離婚した相手の名字を使用していることに北原氏は驚いたそうです。

同年10月に父親の連絡で、日本に来日するサダト大統領夫人のジハン・サダトをエスコートすることになり小池氏は日本へ戻る様に父親に言われます。

日本に帰るチケット代がなかった小池氏は身の回り物を売り払い、航空券代を工面したそうです。北原氏も小池氏に頼まれて彼女のアイロンを購入したそうです。

サダト大統領夫人は40歳を過ぎていましたが、カイロ大学に学生として通っていました。

小池氏の父親は日本アラブ協会に「娘は夫人と同級生で顔見知りだ」と言って売り込んだそうです。

11月半ば、カイロに戻ってきた小池氏は、顔写真付きのサンケイ新聞を北原氏に読み聞かせます。

「カイロ大学文学部社会学科を日本人女性として始めた卒業した」と書かれていました。(「サンケイ新聞」1976年10月22日)。

数日後、小池氏は日本に帰国します。

その際小池氏は、北原氏に模造真珠のブローチを手渡します。そのケースの表には[JAPAN AIRLINS]と記されていたそうです。

そして小池氏は北原氏にこんな言葉を投げかけます。

「私、日本に帰ったら本を書くつもり。でも、そこに北原さんのことは書かない。ごめんね。だって、バレちゃうからね」

「それでいい?」

 

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小池百合子都知事「学歴詐称疑惑の事実を友人が実名告白」のまとめ

今回、小池氏の学歴詐称について記載させていただきました。

新たな真実が発表されることがあれば追記させていただきます。

 

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