元衆議院議員の山尾志桜里氏が衆議院議員選挙比例代表としての擁立が発表されましたが、過去のW不倫疑惑が影響し、公認が見送られました。
この記事では、山尾志桜里氏と倉持林麟太郎弁護士とのW不倫や、倉持林麟太郎弁護士の元妻の自死について記述していきます。
【結論】:山尾志桜里氏と倉持林麟太郎弁護士はW不倫をしており、倉本氏の元妻は自死していました。
山尾 志桜里 何をした週刊文集が明かすW不倫不倫弁護士の元妻は自死していた
倉持林麟太郎弁護士の元妻が自ら命を絶っていたことについて記載します。
倉持林麟太郎弁護士の元妻は自死していた
2020年10月3日、倉持林麟太郎弁護士の元妻は自宅で自ら命を絶っていました。
享年36~37歳であったと報じられています。
元妻は、山尾志桜里氏との不倫報道が出た当時は、倉持麟太郎氏とは婚姻関係でしたが、不倫報道後に離婚します。
元妻は不倫報道当時、左脳大脳動脈狭搾症と診断され、医師から脳梗塞のリスクを指摘され実家で療養中でした。
不倫報道から約半年後の2018年3月、元妻は、週刊文集に手記を寄せ、山尾志桜里氏が夫婦の寝室にまで上がりこんでいたことへの怒りや、家庭を崩壊させられた苦しみなどを綴っていました。
「私は山尾さんのせいで、全てを失いました。家庭、愛する夫、かけがえのない息子、全部失ったのです」と悲痛な叫びを綴っていました。
倉持氏と離婚後、元妻はうつ病と診断され、会社を休職するなど、精神的に不安定な状態が続いていました。
また、長男の親権は倉持氏が持ったことで、子供に会えないという心身の苦痛が重なり、最終的に自ら命を断つという痛ましい結果に至りました。
元妻の親友たちは、彼女の死後、週刊文集の取材に対し、山尾氏や倉持氏が元妻の死に対して真摯に向き合っていないことへの憤りを語っています。
元妻が週刊文集に語った内容
この半年は、わたしにとって地獄のような日々でした。
本当に思い出すのもつらいことばかりです。
あの日から半年が経ち、やっと健康状態が回復してきました。
今回、全てを明かそうと思ったのは、私の中でまだ解決していない問題が多く残されているからです。
その中でも私がいちばん深く傷ついたのが、山尾さんが私たち夫婦の寝室にまで上がり込んでいたことでした。
現在、私は倉持と生活していたマンションを引き払い、実家に身を寄せています。
気持ちを整理しようと試みるのですが、今も心にポッカリと大きな穴が開いたままになっている。
当時「夫婦関係は冷え切っていた」と報じるメディアもありましたが、全く事実ではありません。
少なくとも私は倉持を愛していたし、夫もそうだと信じていました。
倉持はとてもマメな性格で、交際時は1日に30件以上もメールやLINEのメッセージを送ってきた。
弁護士という多忙な仕事にも関わらず、常に優しい言葉をかけてくれる彼の事が私は大好きでした。
2015年4月に私達は結婚し、7月には都内のレストランで披露宴を開きました。
家族や友人の祝福を受けたとき、〈世界一幸せだな〉と胸がいっぱいになったことを昨日のことのように思い出します。
この思い出を忘れないよう、披露宴のウエルカムボードは自宅マンションのリビングにずっと飾っていました。
その年に生まれた長男はいま2歳です。
週末には親子3人で公園で遊んだり、お台場にドライブに行ったりしていました。
最後に親子3人で出かけたのは、昨年の8月12日。
電車が好きな息子のために鉄道博物館へ行きました。
東北新幹線の前で撮影した親子3人の写真を見ると、本当に幸せな日々が思い出されます。
そんな日常があの日を境に変わってしまった。
私の病気はその前兆だったのかもしれません。
8月14日、急に呂律が回らなくなり、視界がぼやけ、手が痺れるなどの異変が私の身体に起きました。
不安になって夜間に救急病院に行くと、「左脳大脳動脈狭窄症」と診断されました。
医師からは「このまま放置すると脳梗塞になる」と言われました。
私はよく15日から仕事を休むことにしました。
すると倉持はしきりに「実家に帰ったほうがいい」と薦めて来ました。
心配してくれる気持ちが嬉しかったし、体調の不安もあったので、長男を連れ、実家に帰ることにしたのです。
私が実家に帰っている間も、倉持はまめにLINEでメッセージをくれました。〈心身が心配〉というものや〈体温に触れたいです〉など、私への気遣いに溢れるものでした。
一方で、気になるLINEもありました。
8月29日、倉持が〈今日はシーツも洗ってきた〉とメッセージを送ってきたのです。
結婚してから一度もそんなことをしたことがなかったので、不審に感じました。
9月1日、私は荷物を置くため一度、自宅に戻りました。
夫は仕事中でしたし、連絡は入れてなかった。
このとき自宅でいくつもの”異変”に気付いたのです。
私たちの寝室には、セミダブルサイズのベッドが二つ並べてあり、その横にベビーベッドがありますが、マットレスの下に敷くカバーがずれ落ちていたのです。
ただ寝ているだけではカバーがずれ落ちることはありません。
私と息子が家を離れた間、何かが起こっていたのです。
私は胸騒ぎを覚えました。
おかしな事は他にもありました。
キッチンにいくつもゴミ袋が置かれ、なかには何本ものお酒のビン、そして食べかけのポテトチップス。
倉持はポテトチップスを食べない人なので、「おかしいな」と思いました。
決定的だったのは、リビングに飾ってあった披露宴のウエルカムボードがなくなっていたことでした。
慌てて探し回ったらクローゼットに隠されていたのです。
でも当時、まさか他の女性が私たちの自宅や寝室に上がり込んでいたなんて、想像もできませんでした。
9月2日、私は長男と一緒に自宅に戻りました。
すると、またいくつかの異変に気が付きました。
お風呂の排水口が綺麗に掃除されていたのです。
倉持に聞くと「子供が風呂場で寝転がると不衛生だから」と説明していました。
昨日までキッチンに置かれていたゴミ袋も無くなっていた。
倉持は「近くのコンビニにゴミを捨てた」と説明しました。
前日、私が自宅に帰ると連絡をしていたので、慌てて片づけたことは明らかでした。
この日、倉持からは日帰りの名古屋出張だと聞いていました。
でも結局、彼は家には帰ってこなかった。
午後7時49分、倉持から〈これから愛知県と最後の会議〉、そして〈今日は帰るのは難しそうだから泊まって、朝一で帰るね〉とLINEのメッセージが来ました。
午後10時55分にも〈なにしてるの〉〈明日公園にいこ〉というLINEメッセージが届いています。
文春によれば、すでに山尾さんとホテルにいたはずなのに、彼はそんなメッセージを送ってきていたのです。
倉持が自宅に戻ってきたのは翌3日の午前10時ごろでした。
でも、午後3時頃、「民進党に呼ばれて議員会館に行く」と言って、再び出かけてしまいました。
9月4日から、倉持は「自分は狙われ、ハメられた。政治に深入りし過ぎた」と、変な話を口にし始めました。
「蓮舫さんや辻本(清美)さんは年齢が上すぎるので、(自分の)相手ではおかしい。
山尾さんは40代でいい年齢なので、相手として作られてしまったんだ」というのです。
よく意味がわからないし、私はまだ彼に疑いを持っていなかったので、「ふーん大変だね」と応じるだけでした。
しかし9月5日、私はネットで山尾さんと倉持のスキャンダルがちょっとした騒ぎになっていることを発見しました。
仕事中の倉持に連絡を取ると、「家に帰って話す」といわれました。
帰宅したかれは、淡々と説明をしました。
「山尾さんとは仕事で会っていた。ここ数ヵ月、毎晩のように会っていた。でも、それは仕事。お酒を飲んだりしたけど、それも仕事」
私は「どういうことなの?」と聞くだけでした。
病気のためか、頭の中が整理できず、しまいには床にへたり込んでしまいました。翌朝5時頃まで話し合いましたが、倉持は「仕事」の一点張り。
一切、謝罪はなかった。
それどころか彼は、「説明に疲れた」と不貞腐れたような態度を取ることもありました。
この日から倉持は家に帰って来なくなりました。
ここでも彼は意味の分からない理由を口にしていた。
「民進党にホテルニューオータニで匿われている。
殺害予告が出たから身辺警護をしてもらっている」
私は、山尾さんとの関係がネット上で大騒ぎになっているのを見て、不安が募る一方でした。
「自宅にも山尾さんを入れたの?」と、私は一番に気になっていたことを倉持に聞きました。
彼は「食事に行くから山尾さんが家に迎えにきただけ。玄関にしか入っていない」と説明していました。
しかし7日に販売された「週刊文集」を読むと、倉持の説明は全て嘘でした。
そして頭の中で数々の出来事が蘇ってきたのです。
ベッドカバーの乱れ、シーツの洗濯、排水口の掃除、そしてクローゼットに隠されたウエルカムボード・・・。
すべてが一つに繋がり、頭がクラクラしてきました。
それまで倉持の口から山尾さんの名前を聞いたことはありませんでした。
倉持を確かに民進党関連の仕事をよく手がけていました。
しかし彼から聞いたことがあったのは蓮舫さんや辻本さんの名前だけ。
特に蓮舫さんと親しく、前年には夫婦で蓮舫さんの事務所開きに参加したこともあったほどです。
それでも山尾さんの名前を聞いた時、私にはピンと来るものがありました。
元々倉持はクールな女性が好きでした。
スカートやリボンなど女性らしい格好の女性には目もくれず、パンツスーツなどを着こなす大人の女性がタイプでした。
そして何より山尾さんは、倉持の母親と瓜二つと言ってもいいほど、よく似ているのです。
「週刊文集」に書かれていた2人の関係が本当かどうか、私も自分なりに調べてみると、疑惑は確信に変わりました。
ETC記録では、ある高速道路の出口をよく利用していたことが目に付きました。
そこは、山尾さんの自宅からほど近い場所です。
倉持が浮気をするような人間とは全く思っていなかったので、大きなショックを受けました。
9月5日からずっと眠れない日々が続いていました。
病気が悪化して脳梗塞にならないかという不安もありましたが、何より「週刊文集」の記事について倉持から何も納得のいく説明がないことが私を悩ませました。
倉持から離婚協議書をつき付けられたときは、涙が止まらなかった。
「この紙は何だろう。一体、私に何が起きているのだろう」って。
何も考えられなくて頭が真っ白になるだけでした。
10月1日、倉持は荷物をまとめて出て行きました。
その後は私がどんなメッセージを送っても、〈離婚しよう〉〈離婚してもしっかりフォローはする〉と、ゴリ押ししてくるだけ。
さらに〈文春に(話す〉なんて言ったら●●●(長男)も含めて破壊だからね〉と釘を刺してくることもありました。
そこには優しい言葉をかけてくれたかっての倉持はいなかった。
私は背後に山尾さんの影を感じざるを得ませんでした。
こうしたニュースを目にする度に、私の心は壊れていきました。
私は脳梗塞の不安もあって休職中でした。
お金もない。
離婚されたらどうすればいいんだろう。
恐怖と不安で押しつぶされそうな毎日でした。
自宅に1人でいると、大きな暗闇に呑みこまれそうな気分になりました。
母親が心配して、付き添ってくれるようになりました。
この頃の記憶が定かではないのですが、最近、母親からきかされたことがあります。
ある日、倉持と山尾さんの記事を目にした私は、「あーー!」と叫び出し、自傷行為を始めたそうです。
常に身体がだるく、時には動悸も激しくなり、精神科にかようようになりました。
医師からは鬱病剤を処方してもらいました。
全てから逃げ出したいという思いが募り、私の精神は、すでに限界を超えてしまっていたのです。
離婚に向けた話し合いは、一度も会うことなく、すべてLINEで済まされました。
山尾さんは男女関係を否定し、倉持もブログで「多大なる迷惑をかけた妻、子、および家族に対して心からの謝罪をしたい」と書いていました。
にもかかわらず、家庭は壊され、事件後、私と倉持が生活を共にしたのはわずか7日あまり。
全てが離婚ありきで話が進んでいった。
離婚が成立した当日の朝、私は長男を保育園に送っていきました。
その日をもって息子は、私の手を離れることになった。
実家に戻ってすぐ、私は何てことをしてしまったんだろうと気が付きました。
〈なんで私、1人なの!息子に会いたい。なんで、息子がいないの! 息子に会いたい。なんで、息子がいないの!〉
心の中で叫びました。
そして、倉持と2人で子供を育てられないと思うと、自然と涙が溢れてきました。
今は週末だけ長男と面会することが許されていますが、倉持サイドから制限され会えない日もあります。
倉持は弁護士業務、そして政治関連で山尾さんと行動を共にしているので、育児の大半は倉持の母親が行っているようです。
離婚前まで、長男は活発で明るい子でした。
しかし最近、保育園での様子を保母さんに聞くと、「寡黙
で、物静かですね」と言われました。
実家で私の隣で寝ている息子が「ママ!ママがいない!」と泣き始めたこともありました。
突然、母親がいなくなり混乱しているのだと思います。
倉持に親権を返して欲しいと要請しているのですが、否定されている現状です。
一つの家庭をめちゃくちゃに壊した山尾さんが、悪びれることなく国会で待機児童や憲法改正の話をすることに、強い憤りを覚えます。
人の心を踏みにじったまま知らん顔をして、事実すら語ろうとしない姿勢が私には理解できません。
私は山尾さんのせいで、全てを失いました。家庭、愛する夫、かけがえのない息子、全部失ったのです。
私は山尾さんに対して慰謝料請求の裁判を起こす準備を進めています。
彼女は夫婦の寝室にまで上がり込んで、私の全てを奪っていった。
事実を認め、その償いをしてもらいたい。
そして、もし叶うのなら、夫と息子を私に返して欲しい。
せめて、愛する息子だけでも私の手許に戻して欲しい。
いまはそう切実に願っています。
(2025年5月19日 週刊文集デジタル版より引用)
山尾 志桜里 何をした週刊文集が明かすW不倫不倫弁護士の元妻は自死していたのまとめ
今回、山尾志桜里氏と倉持林麟太郎弁護士とのW不倫や、倉持林麟太郎弁護士の元妻の自死について記述しました。
新しい情報が入り次第追記させていただきます。
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