2024年12月6日、女優で歌手の中山美穂さん(54歳)が東京都渋谷区の自宅の浴槽で死去していました。
今回、中山美穂さんが、観ていたルイーズ・ブルジョワ展の作品による死因の可能性について記載させていただきます。
この記事を読むと、中山美穂さんがルイーズ・ブルジョワ氏に心をえぐられた作品について理解することができます。
【結論】:中山美穂さんが、観たルイーズ・ブルジョワの作品は、あまりにも自身の生い立ちや幼くして別れた息子への思いなどが重なり、作品に込められたルイーズ・ブルジョワの思いに心がえぐられ精神的なショックが大きかったと思われます。
自身のインスタグラムでも2,3日心がえぐられて・・・と記載しています。
ルイーズ・ブルジョワが作品作りのインスピレーションとした、罪悪感と償いは幼くして別れた息子さんへの中山美穂さんの罪悪感と謝罪に触れる辛いテーマでした。
中山美穂さんについて
中山さんは、長野県の小さな町に生まれ、物心ついたときには父親はおらず、母親は彼女が3歳の時に生まれたばかりの妹・忍(現在俳優)と共に東京に出て来ます。
母が働くため、姉妹はいろんな家に預けられて育ちました。
中山さんは、中学入学前の春休みに、原宿でスカウトされ、芸能界デビューしました。
2002年、作家でミュージシャンの辻仁成と結婚し、生まれてくる子供には親が芸能人であることを意識せず、伸び伸びと育ってほしいとの思いで、パリに移住しました。
2004年に長男を出産し、辻とともに子育てに専念していました。
しかし、2014年に離婚します。
フランスの法律では離婚すると親権は半分になるのですが、日本の法律で離婚したため、親権はどちらか一方が持たざるをえず、最終的に辻に親権を譲りました。
日本のマスコミから「親権を放棄して子供を捨てた」と書き立てられました。
≪法律上では子供に対する権利を失ってしまいましたが、息子との関係の中で親であることは永遠に変わらないと言い聞かせて親権を譲る事にしました。
そして、それが離婚を承諾してもらうための条件でした≫と明かしました。
(『美ST』2014年10月号)
≪いちばんに願うのは息子の幸せです。
寂しい思いをさせてしまうことは、毎日胸が痛みます。
これから思春期に入っていく彼の微妙な変化も何もかも、すべて受け止めて支えてあげられたら。
今までと同じようにいかなくても、同じではいけないと感じても挑戦することを諦めないでほしい。
自分を大切にすることも未来を生きるために大切なこと。
小さなことからでいいから、一つ一つクリアにして、やりたいことを心から楽しむ!迷いがあっても、何ができることはきっとあると思うんです。
あなたはあなたしかいない、と私自身にも言い聞かせながら≫
(『美ST』2015年6月号)
中山美穂さんがなくなる前日のインスタグラムの内容
中山美穂さんは、亡くなる前日に自身のインスタグラムで「先日行ったルイーズ・ブルジョワ展写真下手ですみません」と書き出し「2,3日心がえぐられて、一緒に行った友としか会話ができなかった。写真下手だけど、上手くてもなんにも表現できない」とつらい心情をつづっていました。
また、「私は地獄に行って戻ってきました、そして、言わせてもらえば、素晴らしかったです」と英語で記された写真も添えて投稿しており、ファンから心配の声が寄せられていました。
(2024年12月6日 スポニチアネックス取材班より引用)
この内容からも中山さんが、ルイーズ・ブルジョワの作品に自身の別れた子供への思いが重なって、心が裂ける思いをしたことが伺えます。
中山美穂さんが観たルイーズ・ブルジョワの作品
SNSより引用
≪かまえる蜘蛛≫
この蜘蛛は、タペストリーを修理する仕事をしており、子供を癒し養う保護者であったブルジョワの母を表現しています。
ブルジョワ自身から母への賛歌でもあったそうです。
我が子を癒し養うことができなかった中山さんには辛い題名です。
SNSより引用
≪良い母≫
SNSより引用
≪やり直す≫
良い母、やり直すの作品は、一般的な「母」から連想するイメージとは全く違う物々しさが漂っています。
ハリネズミのジレンマのような気持ちががあったのでしょうか。
ブルジョワの母は、役割としての母とは異なる実態があったのかな、と感じました。「母」「女性」をダイレクトに表現した作品でした。
なぜ、ここまで「母」に強迫観念があったのか心配になりました。
「そこまで考えこまなくてもいいのに・・・。ブルジョワが”母性”に悩んでいる時、父親は何をしとったんや?」と思いました。
ブルジョワは、作品を作ることで、精神の維持につながっていたのかな、ブルジョワは、アーティスト、娘、妻という複数の役割に疲れていたそうです。
時には逃げてもいいし、誰かに相談すればいいと思いましたが、ブルジョワの近くに、そのようなセーフティーネットがなかったのでしょうか。
中山さんにはセーフティーネットがなかったのでしょうか?
ブルジョワの父は、男の子がほしかったそうです。しかし、長女の次に生まれたのも女の子(ブルジョワ)でした。
それもブルジョワの負い目になったそうです。また、家庭教師の女性と不倫関係にあった父親に対しての怒りが、ブルジョワが作品を作るモチベーションになりました。
実際にブルジョワは「怒りや苛立ちを作品を作り続けることで、衝動的に湧き上がる敵対心、嫉妬、殺意を浄化していました。
しかし、そんな父が亡くなったことに加え、母の介護なども重なったことで、ブルジョワは鬱病になり、作品制作を止めた時期もあったそうです。
SNSより引用
ブルジョワの言葉が、中山さんには、自身の別れた息子の言葉に映ったのかもしれません。
SNSより引用
ブルジョワの言葉ですが、中山さんには、自身の母と母としての自分、記憶にない父親について考えさせられたのかもしれません。
(Note【展覧会レポ】森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ言っとくけど、素晴らしかったわ」より引用)
ルイーズ・ブルジョワの履歴
ルイーズ・ブルジョワ(Louisw Bourgeois)
・女性
・1911年12月25日 フランス・パリ生まれ
・2010年5月31日没
・アメリカ合衆国のインスタレーションアートの彫刻家であり、画家、版画家でもある
・パリの郊外でタペストリーの修理をする工房を経営する家庭で育つ
・ソボンヌ大学で数学を学ぶが、美術の道を志し、エコール・デ・ボザールを含むいくつかの美術学校で学び、フェルナン・レジェのアシスタントとなる
・1938年、アメリカ人の美術史家ロバート・ゴールドウォーター(1907年~1973年)と結婚し、ニューヨークに移住する
・自身の少女時代からインスピレーションを受けたフェミニズム・アート作品が多い
・1982年、ブルジョワが72歳の時にニューヨーク美術館で個展が行われ、再評価される
・1990年代から、巨大な蜘蛛(くも)象ったブロンズ像アマンを制作
この像は色々なバリエーションがあり、ニューヨークのグッケンハイム美術館の他、9か所に展示されている
日本には、東京の六本木ヒルズ森タワーに展示されている
・2010年5月31日、心臓発作のためマンハッタンで亡くなる
【言葉の説明】
*インスタレーション:現代美術の表現方法の一つで、特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、場所や空間全体を作品として体験させる芸術手法。
*フェルナン・レジェ:20世紀前半に活躍したフランスの画家で、ピカソ、ブラックらとともにキュビズム(立体派)の画家として見なされるが、後に太い輪郭線と単純なフォルム、明快な色彩を特徴とする様式を築いた。1920年に建築家ル・コルビュジェと知り合い、コルビュジェの建築壁画を担当した。
フェルナン・レジェの作品
ルイーズ・ブルジョワは(略)複雑で、ときにトラウマ的な出来事をインスピレーションの源としています。彼女は(略)希望と恐怖、不安と安らぎ、罪悪感と償い、緊張と解放という相反する感情や心理状態を表現しました。
(ルイーズ・ブルジョワ展公式サイトより引用)
ルイーズ・ブルジョワ展について
・場所:森美術館
・住所:東京都港区六本木6丁目10-1六本木ヒル森タワー53階
・会期:2024年9月25日(水)~2025年1月19日(日)
・休館日:会期中無休
・開館時間:10:00~22:00
・入場料(一般):2000円
・回覧所要時間:1時間半~2時間
・撮影:ほぼすべて可能
・URL:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/bourgeois/index.html
【追記】:死を予感していたかのような中山美穂さんの言動
中山さんの初主演ドラマ『毎度おさがわせします』以来、交流があったテレビ制作者の話。
・「ミポリンから、たまにだけど『眠れなくて』って連絡があったんだよ」
・「もう10年くらい前だけど、ご病気に苦しんでいたことがあってね。お子さんへの思いや後悔にさいなまれ、夜中に泣いて電話してくるんだよ。最後は『こうやって話を聞いてくれるだけでもうれしい。こんな時間に話ができる人なんていないんだもん』なんて言って電話を切ったかな。
・「今年の7月ごろかな。『燃え尽き症候群というのか、なんだか何も手がつけられない』みたいなことを言っていたんだよ。つい最近も『私なんかいなくなっても誰も悲しまない』。『ずうっと、寂しいんだから・・・』とこぼしていました」。
・別の芸能プロ関係者も「酒豪といえるほでの強さでした。コンサート近くは控えていたようですが、最近は眠れなくて、朝方まで飲んでいると聞いたんです」
・最近、中山さんとよく出かけておしゃべりをしていた映画プロデューサーは「この前も、妹の忍ちゃんも呼んで、一緒に喫茶店でお会いしました。『最近は、妹とよく一緒に出かけるんだ』と話していました。忍ちゃんがお手洗いに立ったタイミングで、美穂さんが『私よりも、妹のことをよろしくお願いします』って頭を下げたんです。『やっと姉らしいことができるようになった』って、うれしそうだったな」
(2024年12月8日 FLASHより引用)
中山美穂死因「ルイーズ・ブルジョワの作品に心をえぐられた」のまとめ
今回、中山美穂さんが、観ていたルイーズ・ブルジョワ展の作品による死因の可能性について記載させていただきました。
新しい情報が入り次第、追記させていただきます。
コメント